サイ波動薬通信

" 病める人、打ちしおれた人、落胆した人、疾患に苦しむ人がいれば、まさにそこにあなたの奉仕の場があります " Sri Sathya Sai Baba
Hands Reaching Out

実践者プロフィール 00534...UK


サイ波動薬と共に歩んだ健康への道のり

実践者手記:私が 波動薬実践者になるまでの道のりは極めてまれなケースです。若い頃(現在54歳です)は、私は大変活発で、どこでも歩いて、14マイルの距離も走っていました。

1983年に英国の薬剤師の資格を取得し、1985年に結婚して薬局を開きましたが、それ以前には、医者にかかったことはありませんでした。それから2年経たないうちに、私の健康状態は劇的に悪化しました。私は髄膜炎に罹り、どうにか九死に一生を得たのです。治療として、腰椎穿刺を8か所行い、話すことも、歩くこともできない状態となりました。6か月以上足は麻痺したままで、最終的に退院した時には、筋痛性脳脊髄炎(慢性疲労症候群)を患い、歩くことも、髪を梳かすために手を上げることもできませんでした。

30年間の病気

次の30年間も、引き続き起こった健康面での問題に悩まされました。片頭痛、慢性の疲労に日々苦しみ、線維筋痛症により全身の筋肉と骨に痛みを感じていました。免疫機能の崩壊により、喘息、湿疹、重度のアレルギーを併発しました。食物や水道水(出血を伴う口内炎が発症)、日光、化学製品、金、ニッケル(ニッケルを含む硬貨は触れることができませんでした)、そして肌に触れるもの全てへのアレルギー反応が起こりました。処方箋の染料で手が腫れたり、香水の香りですらも気持ち悪くなって吐きそうになるのが常でした。

まるで、これではまだ十分ではないかのように、過敏性大腸症候群に加え、慢性の潰瘍性大腸炎を患い、さらには血の混じった下痢、右足の結合組織の肉腫、頚部脊椎症、そして最後には糖尿病と続きました。

糖尿病の併発症として、右足にできた潰瘍はふくらはぎの半分を覆い、それは2年間続いた後、最終的に2003年に小さな発作へと至りました。高血圧と甲状腺低下症も患いました。

それでもまだこれで終わりではありませんでした。上記の疾病全てを克服した後、2005年に私は転倒し、椎骨のL4,L5、S1を損傷し、4年以上車椅子の生活となってしまいました。車椅子から解放されてから、6年後、左足の腱を裂傷させてしまい、7年間にわたって7回の手術を受けようやく立って歩けるようになりました。

多くの治療法の体験と患者さんへの献身

私自身に突き付けられていた健康の問題はありましたが、1985年から2005年にかけての薬局の経営には成功を続けていました。そのために、毎日28年間、イブプロフェン(8錠)、うっ血除去剤、アレルギーのための抗ヒスタミン剤、そしてコデイン系鎮痛剤を服用し、ようやく1日を過ごすことができたのでした。ただ、喘息のためにステロイドや吸入製剤を用いることはありませんでした。

自らの疾病を克服するために、医療に関しては様々な種類の系統や様式を試しました。その中には、アユールベーダ、タッチ・フォー・ヘルス(経絡の調整による癒しを目指す指圧・マサージなどの技術)、ブレインジム療法(身体運動学)バッチフラワーレメディ、ホメオパシー、テイッシュソルト、アロエヴェラ、 FSM(特定の周波数の電流を用いた療法)、指圧、宝石を用いた療法、カラーセラピー(色を用いた療法)、スジョク療法(鍼と指圧の原理を組み合わせた韓国の療法体系)、ファンクショナルメディシン(様々な栄養素、ハーブ等のサプリメントによって機能しない器官・系統の調整を行おうとする米国の治療体系)などがあります。また、私はロバートヤング博士のアルカリ性食品によって血液を癒すLive Blood Microscopy(血液分析法)を学び、EFT(経絡・ツボを軽く叩くことで感情的な問題を癒す療法)を実践し、また、定期的に心霊治療家に会いに行ってもいました。しかし、これら全ての療法によっても、改善されたところはほとんどなく、せいぜい10%程度でした。他の患者さんたちは上記の療法によって、癒されてはいましたが、私はそうではありませんでした。

こうした状況は私と家族に感情的な苦しみを与えました。薬局での仕事以外の私の生活は耐えるに忍びないほどでしたが、毎朝白衣を着る度に、私は変容しました。もちろん仕事中も、痛み止めのお世話にはなっていましたが、薬局では患者さんに休むことなく接し働いていました。しかし、夕方になると、階段ですら登れないのです。また、何年もの間、健康上の理由から、私の食事はご飯に塩・コショウ、パン、フライドポテト、サンドイッチなどでした。

ババによる癒し

1991年、顧客の一人がサイババという名のインドのグルが私を癒すヴィジョンを見ました。そこで、私はインドのプラシャンティニラヤムにいき、磁気療法と指圧を学び、最終的にアガルバル博士に紹介されました。それは1997年から1998年の間のことで、その当時、波動薬のカードは316種類しかなく、今日、私たちが手にしているような手引書や解説書はありませんでした。夕方のトレーニングセッションを受け、サイラムヒーリング波動薬生成器(SRHVP)の使い方を学びました。これが全ての始まりでした。波動薬は、全ての希望を失った私へのババからの贈り物でした。

サイラムヒーリング波動薬生成器(SRHVP)の私の活用の仕方

サイラムヒーリング波動薬生成器(SRHVP)を初めて使ったのは、水を媒体としたノーソードと単一レメディを生成するためでした。私にはノーソードが必要でした。というのは、ビタミン、アユールベーダの薬草、水道水、牛乳、果物、(湿疹を引き起こす)リンゴの皮に付着しているワックスは摂取することができなかったからです。さらには、服用可能な対症療法の薬は、匂いや味のないものに限定されていました。レメディを作る時には、水を用いました。1滴のアルコールでさえも動悸やめまいを引き起こすからでした。

私は1か月ごとに特定のノーソードを作成し、毎日1時間ごとに口に入れました。最初のひと月は、ビタミンB総合剤のノーソードを、次の月はSR325バッチフラワー救急のノーソード、その次は、金・ニッケル・(歯科医でのアマルガムなどの詰め物に対処する)水銀、アスピリン、マグネシウムのノーソード、さらに、SM1悪しきものの除去(一日6回まで、悪夢に対処)、SM6ストレス(交感神経系のバランスを取りコルチゾルのレベルを減らすため)、SM2神の加護、と続きました。

私は、ソーハムシリーズのカードを全て薬の調合机の上に並べて置いておき、常にこれらのカードが私を守り癒してくれているのを忘れないように、また、間違ったカードを使って波動薬を生成しないように意識しました。

経絡について学んだ後、カードを使って経絡のレメディを服用し始めました。次にはサイラムヒーリング波動薬生成器(SRHVP)を用いて、色のノーソードを作ってカラーセラピーを行いました。例えば、黄色・緑などの色の資材を選び、それをサンプルの穴に入れ、レメディを作ります。同様に、違う色についてのレメディも作成します。

こうして、次第に身体の調子は良くなっていきました。3年の間に、20%良くなりました。それから私は、様々なものを組み合わせてノーソードを作るようになりました。例えば、ターメリック、ギー、キャラウェイ、クミン、黒塩の組み合わせはアユールベーダによると、ヴァータ(風の気質)の症状である冷え症に対するものであるとされています。私がアユールベーダの調剤薬そのものを摂取できなかったため(摂取すると吐き気を催すので)、ノーソードに頼らざるを得ず、ノーソードによって神経やホルモンのバランスを取るのを助けてもらいました。

「ソーハム」シリーズの第3巻に掲載されているカードはほぼ全て活用しました。1週間毎に特定のレメディを服用し、毎週異なるレメディを服用しました。こうした体験は、その後、どのカードが最も大きな効果をもたらすか、将来のために何をとっておくべきかがわかりました。それらは以下の通りです: NM6 Calming (深いリラクゼーションと眠り), NM36 War(闘争), NM75 Debility(衰弱), NM81 Glandular Fever(腺熱), NM86 Immunity(免疫), NM90 Nutrition(栄養), NM91 Paramedic Rescue, NM104 Tops (記憶と脳の疲労) SR293 Gunpowder(火薬)。

私の足の潰瘍は、マヌカ蜂蜜、ババのビブーティ、クロベタゾンクリーム(皮膚炎の治療に用いられる副腎皮質ホルモン)、ティートュリー、アモキシシリン(細菌感染症の治療に用いられる、近年開発されたβ-ラクタム系抗生物質の一つ、ペニシリン系抗生物質に属する)フルクロキサシリン(感染症を治療する狭域ペニシリンのβ-ラクタム系抗生物質)、コロイド銀、ターメリック粉NM103 Bites & Stings から作ったノーソードによる治療によって最終的に治癒されました。一日6回、水で2週間

私は上記のレメディを傷口に湿して圧迫包帯をしました。2週間以内に、直径1cm大の穴を残して潰瘍は治癒され、その穴はさらに1か月で治癒されました。

以前、ティッシュソルトやエッセンシャルオイル、ホメオパシーを服用していた時は辛い好転反応を体験して、ベッドから起き上がれないほどでしたが、サイラムヒーリング波動薬生成器(SRHVP)によって作成したレメディのノーソードによる好転反応は耐えることができるものでしたし、エネルギーを感じることすらありました。

結局、私は、全ての対症療法の薬のノーソードを作成しました。ノーソードを服用して1か月、私はもはや、薬そのものを服用することはなくなりました。2012年7月以来、対症療法の薬に触れたことはありません。このことは、30年近くコデインをベースにした鎮痛剤を摂り続け、中毒状態にあった私にとっては驚くべきことでした。

この時点で私は、毒出し・浄化やアルカリ性食品の知識を用いて、自らの健康をより一段と良いものとしながら、主に一人で活動していました。その後、劇的な転換点がやってきました。

サイ波動薬を通しての変容

2013年5月、私はサイ波動薬キャンプに参加し、そこでシニアの実践者02799…英国に魅了されました。彼女の風貌はマザーテレサのようで、私にとっての陽だまりのような人です。また、世界中で4500人もの実践者が活動していて、波動薬がいかに発展してきたかを知り大変驚きました。2013年12月にはジュニア波動薬実践者として再度トレーニングを受講しました。

すぐに私は、血液のノーソードを服用し始め、もはや過去を振り返ることはありませんでした。現在、2マイル歩くことができ、心はより鮮明となって、食事もほとんどのものが食べられるようになりました。私がそれまで抱いていた恐怖心は無くなり、内なる力が湧き出てきて、さらにはそれ以上のものを授かることができました。波動薬によって現在、記憶の向上、数字に関してのディスレキシア(難読症)、高血圧に取り組んでいます。私が関わってきた医師や薬剤師は私の著しい変容に気づいています。私自身の健康の改善の道のりを歩み続けながら、そのような医療関係者の患者さんをも手助けできることに大変感謝しています。通常、患者さんには、ビタミンB総合剤を転写したものとNM90 Nutrition(栄養)を処方していますが、素晴らしい成果を上げています。「多くを与えられる者は、多くを求められる」、この言葉通り、私は今、愛を持ってババへの奉仕に従事し、意味のある人生へと踏み出しています。


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