実践者プロフィール 10228...India
サンディップ・‘ラジャン’・ジョシ10228...インド
I, ラジャン・ジョシの職業は鉱山エンジニアで、正式な名前はサンディップといいますが、サイサミティではニックネームのラジャンの名で知られています。 [編集者注: インドでのサイセンターはサイサミティと呼ばれ、米国ではサイコミュニティと呼ばれています]
私たちの家族は1973年以来サイの帰依者として、逆境や苦難の時にはスワミの恩寵を幾度となく受けてきました。私は、両親の勧めでナグプールサミティの活動に積極的に参加していましたが、1980年に鉱山での仕事を引き受けてから、27年間様々なサイの活動に全くと言っていいほど貢献できていませんでした。私の仕事には転勤つきもので、サイサミティは常に近くにあるとは限りません。仕事を変えて2007年にナグプールに戻って初めて再びサミティと積極的な関わりができました。
時折、私たちのサミティで行われるバジャン会の間、特定のタイプの波動を体験することがありました。いつもそのことを不思議に思っていたのですが、その波動は、自身の健康のためにスワミから発せられる肯定的なものであると確信していました。
ナグプールにある学校の一つ(ナラヤナ ヴィディヤラヤム)で私たちのサミティがEHVのワークショップを2008年5月に開催し、私はそこでムンバイからのトレーナーをサポートすることになっていました。その場で知ったことは波動薬のワークショップが2008年10月にダルマクシェトラで行われるということでした。そこで私は自身の参加申し込みをしたうえに、妻にも参加を強く勧め、私たち二人はワークショップに出席しました。
ワークショップでは、この宇宙の全てのものが波動を発しており、この波動のバランスが崩れることが病気につながると言われました。私は、バジャン会での波動を感じた体験をこのことと関連して考えるようになり、スワミの恩寵を背に熱心に波動薬の奉仕活動を開始しました。妻と私はスワミの恩寵により訓練コースを修了し、これまでに1万1千人以上の人々に奉仕する機会を得、驚くべき成果が示されました。
私たち夫婦の奉仕活動によってナグプールの帰依者数名が波動薬トレーニングを受講するようになりました。やがて、波動薬ワークショップが3回開催され、50人以上のサイの帰依者がムンバイとプーンからの講師によって訓練されました。
ナグプールでは63人強の波動薬実践者がいて、そのうち18名は、定期的に、サティヤサイ医療移動車での奉仕活動に従事しています。彼らはまた第1回の国際波動薬会議にも出席しました。彼らのうち2人はシニア波動薬コースを修了し、サイラムヒーリングマシーンも使っています。他の人は9つの寺院(ヒンズー教)、グルドワラ(シーク教寺院)、一つのコミュニティセンターで2週間に1回波動薬奉仕活動を行っており、毎月1回定期的に、ムンバイの世話人に月次報告書を送っています。ナグプールでは、平均して2700人の患者さんが毎月レメディを処方されています。
スワミはまた、サイ波動薬通信をヒンディ語に翻訳する機会を与えてくださり、現在もこの奉仕は進行中です。私の波動薬の仲間はプラシャンティニラヤムに行くときはいつでもアガルバル博士とヘマさんにお会いして常に励ましをいただいていることも、付け加えなければなりません。
以下に、私の波動薬奉仕活動から2つの興味深い事例を紹介いたします。
体験 1
この事例は2009年5月に起こりました。ある女性が激しい関節炎を患っていたのですが、彼女はある学校の校長先生で、彼女の家族はダルシャン中、スワミから直接ビブーティを物質化してもらったことのある数少ないサイの帰依者でもあります。
子どもたちの病気その他の困難に直面した時、彼らはこのビブーティを用いてその苦痛を克服していました。しかし、そのビブーティも残り少なくなってあと一つまみという時になって、それを惜しむあまり、関節炎の対処に用いるのは1週間ほど後になってからのことでした。
もう、ビブーティも使い切ってしまう時ぎりぎりに、ナグプールサミティ会長がたまたまイシュワランマの日のお祝いの行事の招待状と共に、ビブーティの小さな包み2つを持って彼女の家を訪ねました。家族はみな、この訪問に驚き、スワミが、残されたビブーティが保たれるようこのビブーティが送ってくれたのだと思いました。
その地区会長は彼女の健康について尋ねましたが、全てがうまくいっていない、との返事でした。彼女は過去2か月間ベッドで寝たきりの状態で、その時は別の部屋で横になっていました。その会長は、最近ナグプールからの5人の帰依者がダルマクシェトラで行われた波動薬のワークショップに参加してサティヤサイ医療移動車での奉仕活動で特定の村々で大きな成果を上げているので、この波動薬を試してみたらどうか、との話をしました。
彼女の夫が私に電話で連絡をくださり、波動薬の患者が実際の処方を受けるにあたって実践者に会いにいく必要があるかどうかを尋ねました。私はそれは必要でないので、症状を教えてほしい旨を伝えました。それは重度の関節炎でした。私自身が彼の家を訪問し、レメディ(CC20.3 Arthritis + CC20.4 Muscles & Supportive tissue + CC20.5 Spine…一日3回) を持参し、服用の仕方等通常の説明をしました。
訪問時には、彼女は部屋で休んでいました。私は彼女の休みを妨げたくありませんでした。また、彼女の夫は大変気落ちしているように見えました。私はそのレメディは3週間分しかなく、無くなったら、私に連絡をくだされば再度お持ちします、と告げました。
3週間後、ご主人から電話連絡を受け、残りの粒が5,6個となったので、追加のレメディが必要であると告げられました。彼は自分で取りに行きますから、といって聞きませんでしたが、私は、「いえ、私がお持ちしますよ」と話しても、ぜひ、住所を教えてほしい、将来もまた、頻繁にレメディが必要になるときがあるので、その方が都合もいいので、とおっしゃったのです。仕方なく私は承知し自宅の住所を告げました。私は2階に住んでいましたので、彼を迎えるため、姪を1階に送り2階にご案内するようにしました。
10分ほどしてから、ノックの音に応じてドアを開けました。そこで見た光景はこれまでの人生でも出会ったことのないものでした。私は自分の目を疑いました。そこには、ご主人と奥さんが共に立っておられたのです。すぐさま私は、奥さんが階段を上がってこられたことへのお詫びを申し上げましたが、お二人は、お詫びなんて要りません、とおっしゃいました。お二人が私の自宅に訪問することに固執されたのは、「3週間の波動薬治療の奇跡」を実際に目にしてほしかった、ということだったのです。
お二人に中に入っていただくと、奥さんは、長期間の病気療養をしていたのでは校長としてふさわしくないので、その職を辞する気持ちでいたこと、スワミにこの困難から救ってほしいと祈り、孤独の中で泣き続けていたことを話してくれました。その甘露を波動薬の砂糖粒という形で送り彼女を救ってくださったのはスワミしかいない、と話されました。ジェイサイラム
体験2
2007年当時、ナグプールサミティは、パンワディと呼ばれる、ナグプールから45キロ離れた村への奉仕活動を行っていて、サティヤサイ医療移動車による2週間に1回の対症療法薬の無料処方を行っていました。私はこの活動に積極的に参加していました。時々、この対症療法の薬の在庫が切れることがあり、患者さんには丁寧にその旨を説明しなければなりませんでした。
私たちナグプールグループはプラシャンティニラヤムでのセヴァを毎年3月と9月に行っていて(今でもそれは続いています)、多くのボランティアの仲間たちはアガルバル博士からのレメディ資材を持ちより、驚くような成果を収めていました。
そうした中、無私の奉仕を願うサイ帰依者に波動薬の訓練が行われるということを聞き、2008年にナグプールからの5人のサイ帰依者がダルマクシェトラでのワークショップに参加してアシスタント波動薬実践者コースを無事修了しました。波動薬レメディの費用が患者さんに対してはゼロであり、実践者にとても無視しうるほどのコストであることに私は圧倒されました。その時すぐに、対症療法薬の在庫が無くなって失望させてしまった患者さんたちの顔が目に浮かびました。
ムンバイから帰るとすぐに、パンワディ村でのサティヤサイ医療移動車による最初の奉仕活動の準備にとりかかりました。私たち5人は54コンボキット(その当時はアシスタント実践者には54コンボが支給されていました)と砂糖粒、容器、スティッカー、赤本(ガイドブック)を用意してパンワディ村に向かいました。全ての患者さんに薬が行き渡ったのは初めてのことでした。36人の患者さんには波動薬が、他の100名の患者さんには対症療法薬が処方されました。
私たちは初めて患者さんを手ぶらで返すことなく、満足感とともに医療キャンプから戻ってきました。私たち5人全員が次の2週間後のセヴァを心待ちにしていました。お互いに語り合うことはなかったものの、それぞれの胸の内では、ひそかに、波動薬の患者さんのその後の反応がどうであったか、そして次回、彼らが対症療法薬か波動薬かどちらを求めてくるのかを確認しようと思っていました。
驚いたことに、波動薬の処方を受けた36名の患者さん全員がそれぞれの症状に改善が見られましたのです。病状としては、主に、便秘・皮膚のかゆみ・ひざの痛み・咳・風邪などでした。波動薬が紹介されて2回目の医療キャンプでは、波動薬を求める患者さんの数は54名に膨れ上がり、その次のキャンプでは、
対症療法薬のそれを上回るようになりました。
その後のキャンプでは、同行された対症療法の医師は患者さんの診察を早々と切り上げ、波動薬実践者が患者さんを処方している部屋にやってきました。その医師の隣に座っていた波動薬実践者が驚いたことには、その医師自らがレメディを求めてきたのです。
対症療法による治療と併せた波動薬治療は現在でも12の村々で2週間おきに行われています。スワミの恩寵により、この組み合わせの対応の仕方による結果はとても勇気づけられるものとなっています。
ジェイサイラム