サイ波動薬通信

" 病める人、打ちしおれた人、落胆した人、疾患に苦しむ人がいれば、まさにそこにあなたの奉仕の場があります " Sri Sathya Sai Baba
Hands Reaching Out

Practitioner Profile 10014...India


私はムンバイ、サンタクルーズの出身です。私はメカニックエンジニアの学位を持ち、過去22年間、インド航空で航空エンジニアとして勤務していました。波動薬は2007年に紹介されたのですが、実はその年の最初の四半期に、私の生活スタイルを一変するような胃酸過多と不安症を患っていたのです。それまで6か月以上も対症療法の薬を摂っていて、内視鏡検査では、胃腸の表層が浸食されているのがわかりました。長期間にわたる対症療法の薬の副作用を避けるため、その摂取を減らすか止めるかを私は求めていました。2007年4月に、ダルマクシェートラにいる間、私は偶然にも、私と同じような症状を持ち波動薬の治療で回復されたサイの帰依者の方にお会いしました。彼は私に、対症治療の医師でもある実践者を紹介して下さったのです。その実践者はダルマクシェートラにあるサイ医療センターで波動薬クリニックを運営されている女性の方でした。彼女からの波動薬の治療を受けレメディの効用を実感し大変幸せな思いをしました。

7月13日に、私はある実践者から誘われダルマクシェートラで行われる波動薬ワークショップへの出席とその準備の手伝いのためにその地を再訪しました。こうして7月15日の夕方、私は波動薬治療の最初の素晴らしい奉仕活動に着手しました。そして、その最初の患者は私自身でした。

私の胃酸過多の症状に対して CC4.10 Indigestion…一日3回 を処方しました。

その晩、私は波動薬キットを108のコンボテキストと一緒にスワミの御写真の前に祝福を受けるために置いておきました。2日間のうちに「オーム」のマークがハンドブックの最初のページに現れ(下記左写真参照、写真では少し見ずらいかもしれません)ました。これはスワミからの、セヴァの承認に他ならないのでしょう。

それ以来、世話人として、実践者のリストを作成する活動に携わったり、公式のお知らせを回覧し、各自の報告を集め編集し、ダルマクシェトラでのセミナー開催の準備のお手伝いなどをさせていただいています。今日までこうした奉仕ができることはスワミの恩寵です。

2007年12月にジュニア波動薬実践者としての次のレベルでのトレーニングを終えました。祝福が戴けるよう、新しい108のコンボボックスをスワミの写真の前に置いたところ、スワミのサインが2つのレメディの容器に現れ、ボックス全体がビブーティで覆われました。“With love Baba” (愛と共に、ババより)という文字がNM18 General Fever (25番の容器) に “Sri Sathya Sai”(シュリサティヤサイ)の文字がNM20 Injury ( 29番の容器)  (上記写真、右側) に現れました。これらの容器は医療キャンプでの便宜を考えてあらかじめ作成していたものでした(アルコールが垂れて文字が消えないようテープを張って保護してあります)。

2013年7月20日のシニア波動薬実践者コースの終了後、私はアガルヴァル博士より、サイラムヒーリングマシーンを受け取りました。スワミの恩寵により、その晩、アラティの後サマディのところに祝福を受けるためにそのマシーンを捧げました。自宅に到着してからも、私はそのマシーンをスワミの写真の所に捧げました。三日後、スワミはマシーンの2つの竪穴をビブーティで満たしてくださいました。私はこのビブーティを2つの容器に分けて保管し、困難な症状を抱えている患者さんに波動薬のレメディとともに分けてあげています。

サンプルの竪穴にあったビブーティとレメディの竪穴にあったそれとは、色も味も異なっていました。 スワミはまた、一番最後のカードである SR576 Tumours にもサインをしてくださいました。(写真参照).  

全ては神のタイミングによって起こりました。スワミのダルシャンを初めて受けたのは1999年3月12日、ダルマクシェートラに於いてでした。その日は、スワミがサイ医療センターをシャンティディープの真向いに開設された日でした。それからちょうど9年後の2008年に、最初のダルシャンを受けた同じ場所であるそのセンターで、患者さんに波動薬のレメディを処方する活動に参加したのです。

現在、私は自宅のみならず、シュリ・シルディ・マンディール、カダムヴァディ、カリナ、(東)サンタクルーズ、ムンバイでの週末の医療キャンプにおいても活動を行っています。今日まで、2480名以上の患者さんのお世話をすることができました。


情報共有のための処方例