サイ波動薬通信

" 病める人、打ちしおれた人、落胆した人、疾患に苦しむ人がいれば、まさにそこにあなたの奉仕の場があります " Sri Sathya Sai Baba
Hands Reaching Out

実践者プロフィール 01339...USA


実践者 01339...USAは米国での大手保険会社の販売・マーケティング部門の副責任者としての仕事から2006年を最後に引退しました。当該会社の雇用主、保険業界、製薬会社は、患者への便益を計るのではなく、利益至上主義であり、彼女自身、そうした姿勢は正しくないと感じていました。時が経過するにつれて、仕事と霊性がかみ合わないことがはっきりとしてくる中、病気を患っている人々への奉仕を否定する、という会社の方針に、次第に耐えられなくなり仕事を離れたのでした。それ以来、彼女は波動薬の患者さんと、波動薬の世話役としての役割に邁進してきました。それに加え、過去10年間、無料の慈善事業として地元の医療施設でボランティアとしても定期的に奉仕を行ってきました。彼女はまた、地元と他地域双方に恩恵のあるような慈善プロジェクトにも着手しました。1999年9月、サティヤサイババに初めて会いに行った時、アシュラム内に滞在していた同室の方から波動薬のことを知らされました。ある夕方、彼女はアガルヴァル博士を訪ね、波動薬のトレーニングを受けることを認められたのです。数日後、彼女はサイタラムヒーリング波動薬マシーンとカードそして奉仕に携わっていく高邁な希望を携え、プラシャンティニラヤムを後にしました。奉仕が可能であれば彼女は喜んで奉仕を行い、そうすることが喜びでした。アシュラム滞在中は、サイババとのインタビューを数回受けるという祝福を得ました。最初のインタビューでは、新しい仕事をあげよう、と言われました。彼女は3か月前に新しい仕事を始めたばかりだったので、なぜ、と質問しました。サイババは、「うん、それは知っている。でも、もっと満足のいく仕事をあげよう」と答えられました。ババはまた、何が欲しいかを尋ねました。彼女は、「あなたの奉仕がしたいです」と返答しました。彼女が仕事から引退すると、この新しいフルタイムの仕事が始まりました。

2009年1月に、彼女はアシュラムへと戻り、アガルヴァル博士と活動をともにしました。そんな中、博士は彼女にスワミが自らの手で祝福をされた新しい108のコンボボックスについて話をしました。彼女はそこで108のコンボを用いた新たなトレーニングを受けることを決意し、トレーニングを終え帰国しました。

数か月後、彼女は米国での奉仕活動に参加しました。医療キャンプでの波動薬についての気づきを喚起することができるかもしれないと思ったのです。彼女が驚き嬉しかったことは、第一日目の朝、そのキャンプで25名の患者さんをお世話することができたことでした。しかしながら、困ったことに、それほどの患者さんからの圧倒的な反応を予期していなかったため、十分なレメディのボトルを持ってきていなかったのでした。レメディのボトルが残り9つだけになってしまった時、彼女はスワミに祈り、待っている患者さんに対応できるよう更なるボトルが手に入るよう願ったのでした。翌朝、彼女は机を整え、9つのボトルを小さな袋にいれ片隅に置きました。彼女は患者さんを一人一人対応していきましたが、袋の方には注意を向けておらず、その時、奇跡が起こりました。朝の診療の時間が終わって、総計29名の患者さんに応対していたので、20個のボトルが物質化されたことになります。2日間合計で54名の患者さんが波動薬のレメディを受け取りました。このことからスワミの聖なる介入を見て取ることができます。この実践者が波動薬という形でサイの愛を広げ続けるということをスワミが認証したことが示されました。この日以来、彼女は迷いなく波動薬の奉仕活動に従事しています。波動薬のうわさが広がり、多くの人が治療を求めて彼女のもとに集まってきました。患者さんとの面談の断片的な話を耳にした、小児科医である、彼女の夫は、全ての人に注ぐ彼女の愛のこもったお世話と態度に大変感銘を受けました。ほとんどの人は健康を回復し、もちろんそれは、波動薬のおかげですが、彼女自身の愛と心のこもった気遣いが大いなる力となっていたのでした。

彼女の居住する地域は人が多くなく、実際の処方は、ほとんどが電子メール、電話、スカイプ、郵便で行われています。彼女の手によって症状の回復を見せた患者さんたちは喜びの中、友人や家族に自らの波動薬による治癒体験を分かち合って、紹介されてくる新たな患者さんの流れが続いています。

彼女はアシュラムへは頻繁に訪れていますが、その都度、アガルバル博士の所に立ち寄り、博士が長時間、パソコンに向かい、世界中の実践者から、波動薬についての同じような質問に何度も答えられていることに気づきました。それは時間もかかり大変骨の折れる仕事です。そこで、彼女はウエッブサイトを適宜更新して、よく聞かれる質問が掲載されるよう、また他のお知らせについても全ての実践者と効率的に交流が図れるよう、博士に提案しました。それにより、博士が返答しなくてはならないメールの量が減らせるのです。すると博士は、「それは素晴らしい。君にやって欲しい!」「え、私ですか?ウエッブサイトのことは何も知らないのです。」「それは大丈夫!スワミが助けてくれるから。」ウェッブサイトの内容に関しては彼女は書くことは可能でしたが、サイトの製作については何もわからなかったのです。博士の言われた通り、スワミは、コンピューターに詳しい人を送ってくれました。波動薬のウエッブサイトwww.vibrionics.orgを改訂し完成するのに2年間かかり、2009年のグルプールニマの日に立ち上げが行われました。今日まで、彼女の机の上には、次のスワミの御言葉が(彼女のこれまでの活動を表すかのように)置かれています。「任務がどれほど大きなものであったとしても、あなたは成功裡になしとげるでしょう。そのあらゆる過程で私があなたとともにいるからです。」(サティヤサイニューズレター、2007年3月)

波動薬の活動は加速度的にその奉仕の範囲を広げ続けており、全ての実践者の間でのより主体的なコミュニケーションが図られることが求められています。そこで、2010年7月に、波動薬通信プロジェクトが本実践者とアガルヴァル博士によって始められました。2か月も経たない2010年9月の発刊の前に、波動薬通信の初版が、9月17日にスワミに捧げられました。スワミは注意深く、アガルヴァル博士と1ページ1ページをご覧になりましたが、その初版の通信を祝福され持っていかれました。波動薬通信は、翻訳・処方例編集者・校閲者・コラム作者・ウエッブサイトアップロードの専門科など、実践者の中からボランティアを募っての愛を原動力とした力作です。この通信の存在によって、波動薬の世界のコミュニティが形成され、体験談や処方成功例、質疑応答、インスピレーションを与えてくれる世界中の実践者の紹介などが分かち合われています。

2012年10月、アガルヴァル夫妻を講師として迎えた第1回目のアシスタント波動薬実践者ワークショップの開催のコーディネートを彼女が行いました。このワークショップはコネクティカット州ハートフォードで行われ22名の参加者がありました。ワークショップの後、彼女は米国・カナダのコーディネーター兼トレーナーとして任命を受けました。2013年以来、彼女は、選抜された候補者向けの通信講座や3日間にわたるアシスタント波動薬実践者ワークショップを開催しました。彼女は、属する地域内の活発なボランティア実践者と共に活動し、彼らに技術的なサポート行っています。その中には、毎月行われる実践者間での遠隔会議の主催者として、関連する興味深い題材についての話し合いも含まれます。

入院中もしくは他の健康上の制約から波動薬を服用することができない患者さんに対応するアシスタント波動薬実践者・実践者(AVPs/VPs)をサポートするための遠隔療法ネットワークが、2016年のグルプルーニマの日に、本実践者と彼女のシニア波動薬実践者チームによって立ち上げられました。

セヴァ(奉仕活動)、特に波動薬に関する奉仕は、本実践者にとって、1999年にスワミによって約束された通り、心身ともに満足を得られる大いなる歓びの源となってきました。彼女の霊性修行は非常に集中されたものであり、奉仕活動とともに大いなる成長を遂げてきています。彼女のコメントは以下の通り、です。「患者さんそして波動薬を学ぶ生徒の方々を通じて、私のハートは慈愛で満たされ、傷つき苦しむ人々あるいは波動薬の奉仕活動を自ら切望する方々に対する愛の甘い波動を引き出させていただいています。サイ波動薬を通じて癒しと教えの領域に於けるサイの道具とさせていただけることに心の奥底からの感謝を申し上げます。」・・・師の織りなす詩的物語の琴線に触れる実話と言えるでしょう。