サイ波動薬通信

" 病める人、打ちしおれた人、落胆した人、疾患に苦しむ人がいれば、まさにそこにあなたの奉仕の場があります " Sri Sathya Sai Baba
Hands Reaching Out

アガルヴァル博士の研究デスクより

Vol 2 号 3
May 2011


サイ波動薬実践者の皆様

私に信を持ちなさい。私は決して間違いを犯すことはありません。幻惑の世界の無常とはかなさを見極めなさい。神の遊戯には深淵な意味があり、間違いによって起こるものはありません。全ては私の意思であり望みなのです。私が意思しなければ何事も起こらないということを覚えておきなさい。安定した心を持ちなさい。あなたと私の関係はいにしえからのものであり、永遠なのです。それはこの世的な関係とは異なります。この生でのあなたの存在は大洋に見られる波のようです。一方であなたの本質は大洋そのものです。あなたの顔は至福を表現する媒体です。あなたの本質(大洋)は至福の化身であるが故に、現象としてのあなた(波)は(自らの本質である)永遠の至福にあこがれ、手に入れることを望むのです。姿や形上の表面的な私を愛することで満足してはなりません。私があなたにして欲しい振る舞い・人生の生き方を貫くことで私への愛を表現しなさい。

ティア サイババ「サティアサイは語る」第3巻

バガヴァンシュリサティアサイババ様が肉体の衣を脱がれてから1カ月以上が経とうとしています。プラシャンティニラヤムはもとより世界中の帰依者が、予期せぬスワミの旅立ちによる悲しみと嘆きを受け止めようとしています。

「神の遊戯の深淵な意味を理解しなさい。」このスワミの御言葉は、スワミがこれまで行われたこと全てが本源的な愛として帰依者に向けられたものであることを思い出させてくれます。肉体を脱がれることもその例外ではありません。スワミの行動一つ一つに私たちが学ぶべき深い目的や意味、教訓が満ち溢れています。スワミが肉体を去られる最後の数カ月間の肉体上での生活を熟考し、反芻することで私たち自身が学ぶべき多くの教訓が見いだされ、我々が死期に直面する際の姿勢すらも学ぶことができます。

私の心に去来する一つの学びは、肉体的に極めて厳しい状況にあっても、自らの使命・義務を

果たしていくというものです。スワミは心臓や呼吸の機能が著しく低下していく肉体的苦痛の中でダルシャンをお止めになることなく何十万もの人々を祝福し、至福をお与えになりました。スワミは繰り返し、「私は肉体ではない。私は常に至福の中にある。」とおっしゃいました。しかしこのことは肉体的苦痛を感じておられなかったということでは決してありません。その意味されたことは、痛みを自らと同化させることなく、痛みを超越して、心をアートマの至福の中に留まらせておられたということです。  

アシュラム内では、もはやスワミの麗しい御姿を目で追うということはありません。このことは表面的には先々の不透明な道が続くように見えますが、そのようなことでは決してありません。私たちは日々の一つ一つの想い・言葉・行動を真実・愛・平安・正義・非暴力というスワミの教えに合致させ、人生を生きることを決意しなければなりません。私たちが利己的エゴを取り除き、空洞のフルートとなり、神の完全な道具となることでスワミの栄光が輝きます。サイは私たちの中で、周りで、頭上で、そして足元で輝くのです。

波動薬は、癒し・希望・安らぎに喘ぐ多くの人々の手元へと届けられるための道具としてスワミによって祝福されました。波動薬実践者である私たちもまたそのプロセスを実行するための神の道具として祝福されています。どうか、力を合わせ、ともに、これまでの努力を倍にしてより多くの人に私たちがスワミから頂いた愛を分かち合うことができるよう誓いを捧げたいと思います。みなさんで愛の広がりを見守ってまいりましょう。

サイの愛の奉仕の中で

アガルヴァル・ジット